日本閣の歴史

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徳川将軍家の仮御殿や鷹・鹿狩りのための休憩舎(御殿)があった場所を「御殿山」と呼びます。
八王子御殿山にはかつて、御殿あるいは茶屋があったと地元では言われています。
明治天皇が鷹狩りをされた時のお立ち台が残っており、
また幕末には海堡(台場)を建造するため鑓水御殿山界隈の松や雑木が42,000本余り杭木として供出されたと言われています。

横浜港の開港から明治中期には「絹の道」と呼ばれる街道がこの山を通っており、
甲州・八王子から横浜へ生糸を運ぶルートとして使われていました。
この御殿山の峠のほど近く、自然の景観をそのまま活かした庭園に面して、
日本閣御殿山店が開業したのは、昭和51(1976)年9月のことでした。

昭和59年には、日本閣他店に先駆けて、ロココ様式を取り入れた会場が登場しました。
ロココ様式は18世紀後半にフランス宮廷から始まった装飾的な建築様式で、
マリー・アントワネットがこよなく愛した、
ヴェルサイユ宮殿の小宮殿「プチ・トリアノン」がその代表的な建築例です。
太陽王ルイ14世のグラン・トリアノンの絢爛豪華なバロック様式に対し、
ルイ16世の治世時に完成をみたプチ・トリアノンは居住性も兼ね備えた、優美華麗な様式でした。

日本閣現会長の鈴木宏侑氏は建築会社担当者と実際にプチ・トリアノンに足を運び、写真を撮影し、
その様式に則った、本物に最も近い内装を実現しました。
館内の随所にはプチ・トリアノンに類似した壁やドアを見いだすことができ、
それはレプリカの如き正確さで、同宮殿の様式美が再現されています。

室内に置かれている調度品も、すべてヨーロッパのメーカーから商社やメーカーを介さず、
直輸入したもので揃えられました。

滝を見おろす場所に建つ「五重塔」を手掛けたのは、諏訪の宮大工の棟梁である矢崎今朝利氏。
本館の竣工に先立つ昭和48年に起工し、昭和49年に完成。
実際には材料の手配から細かな部材を刻む作業は起工以前に始められており、
実質5年の歳月を費やして完成しました。
設計は棟梁が曲尺一本で木を刻み、組んで行ったもので、
その匠の技法は、組み上がった一層目を視察した一級建築士が
「曲尺一本でどのように造ったのか、てんで判らない」と舌を巻いたほど、精巧なものでした。
湖上神殿もまた矢崎氏の手によるものです。
矢崎今朝利氏は長野県伊那にある文化財指定(昭和44年)の神社も手掛けた大隅流の匠。
日本閣の神殿の建築時、どんな素人が聞いても棟梁のノミ音だけは判別できるといわれた逸話の持ち主でもあります。

棟梁のご子息は現在81歳という高齢ですが、
2009年に神殿の内装リニューアルを行った際にはご子息にあ紹介していただいた諏訪の宮大工衆に大変お世話になりました。

2011年には庭園をリニューアルし、全天候型のガーデンチャペルが完成しました。
新装にあたっても創業以来の意匠、ヴェルサイユのデザインが 継承 されています。
ガーデンコンテストで数々の 受賞歴を誇り、多くの著書も持つ5人のガーデナーたちが心を込めて優美な世界を創り上げ
また。緑と水と 花に囲ま れ、四季それぞれの女神像の祝福の中で愛を誓う聖域の誕生となりました。

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